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FX放浪記

trade 5💲FXトレーダーの宿命:見えざる魔の手との闘い

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FXトレーダーの宿命:見えざる魔の手との闘い

人生一寸先は闇とは言ったものである。人生には3つの坂があります。上り坂、下り坂、そして「まさか!」です。披露宴のお祝いで定番の言い回しだ。令和の今は分からないが。これは相場にも全く当てはまる。価格が上がる「上り坂」、価格が下がる「下り坂」、そして…まさか?!、なのだ。

よく分からないままに自動取引を高倍率に設定して、どんどんと積み上がっていく残高。15万円がわずか2週間で96万円、6倍以上に増えた。こんな刺激的な投資が世の中にはあったのか?!こんな上手い話をどうして今まで知らなかった?!

ちなみに、であるが、私は情報商材の類は一切買っていない。我が取引は我流。我流ゆえにすべて己の知識と経験、よく分からないときは適当に済ませてきた。

だが、実はひたひたと終焉に向けた魔の手が忍び寄っていたのだ。かりそめの残高にうつつを抜かし、本質に迫り来るアルマゲドンの予兆に全く気づかなかった、呑気でおバカな素人なのだ。

その魔の手を人はこのように呼ぶ。 「含み損」と。

含み損:FXトレーダーの永遠の試練

含み損、それは我らFXトレーダーにとって、永遠の禊(みそぎ)、自らを磨く砥石。ポジションの現在価値がマイナスのとき、それを含み損と呼ぶのだ。

例えば、買いポジションを100円でオープンしたのだが、現在価格が90円であれば、-10円となる。つまり、10円の含み損を抱えていることになる。

ポジションを閉じるまで勝負は分からない。売買を決済するまでは、損失は確定していない!だが、含み損を眺めていると、自らの無力さと愚かさに打ちのめされる。ポジションを持つべきではなかったのかと、後悔の念に駆られさえする。

含み損を抱えたポジションを数多く持ち続けるときに相場が一向に反転しないときは、強靭な精神力が必要だ。時間の経過とともに、含み損が膨らんでいく様を見ていると、自分の判断の誤りを思い知らされ、悔しさとも怒りとも言えぬ感情が胸の内で渦巻く。

含み損との向き合い方:成長の機会

含み損と向き合うたびに、自分の未熟さを呪い、相場の無常を嘆く。しかし、それでも決済できない。なぜなら、いつかは良くなると信じているから、損失を確定させたくないから、そして、自分の判断を信じ切れないからだ。

ああ、含み損よ。お前は我らFXトレーダーにとって、永遠の試練だ。お前を乗り越えられた時、初めて真のトレーダーと呼ばれる資格を得るのだろうか。

しかし、含み損を恐れてはならない。含み損は、自分の判断を見直す機会を与えてくれる、かけがえのない経験なのだ。含み損と真摯に向き合い、自らを省みることで、トレーダーとしての成長を遂げるのだ。

だからこそ、含み損を友と呼ぼう。そして、その教訓を胸に、また相場の荒海に漕ぎ出すのだ。含み損との戦いに終わりはない。それが、我らFXトレーダーの宿命なのだから。

外国為替取引の真髄:不断の修練と己が向上

外国為替取引の道程は、決して坦々たるものにあらず。上り坂あり、下り坂あり、さらには予期せぬ陥穽の数々。されど、この変転極まりなき旅路こそが、我らを鍛え上げ、真の取引者たらしむるものなり。

含み損との闘争は、単なる数字の戯れにあらず。これぞ己との戦い、市場の神髄を会得せんとする永遠の挑戦なり。この試練を通じて、我らは市場の動静をより深く洞察し、己が感情を御する術を体得するなり。

最後に申し添えん。外国為替取引において最も肝要なるは、絶え間なき学びと自己の錬磨なり。市場は刻一刻と姿を変え、新たなる試練を我らに突きつくるものぞ。されば、含み損という苦難を乗り越え、日々研鑽を積むこと、これぞ真の取引者たらんとする者の歩むべき道なり。

相場の怒濤に翻弄されながらも、我らは明日への望みを胸に秘め、新たなる相場表を繙くなり。何となれば、これこそが外国為替取引者の宿命にして、同時に至高の魅力なればなり。

ああ、含み損に打ちのめされんとする時、思い出すべし。汝、独りにあらず。我ら皆、同じ闘いの渦中にありて、己が運命を切り拓かんと奮闘するなり。さあ、また明日、相場という大海原に漕ぎ出でん。勝利の美酒を、共に味わう其の日まで!