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技術革新

不動産テックの可能性 - 重説作成AIという未開拓領域

不動産テックの可能性 - 重説作成AIという未開拓領域のイメージ

30年以上ITエンジニアとして様々なシステム開発に携わってきた私は、最近新たな領域への挑戦を始めました。それは「宅建業」です。1ヶ月後には宅建業免許も下りる見込みとなり、IT技術と不動産という二つの専門分野を持つ異色のキャリアパスを歩み始めています。

実は私には過去に6年間、マンションデベロッパーに勤務していた経験があります。その後、IT開発の世界に戻った時点では「二度と関わることはないだろう」と思っていた不動産業に、今度は自分自身が宅建業者として参入することになるとは。人生とは本当に分からないものです。

この数年間、私の本業であるシステム開発の現場では、LLM(大規模言語モデル)と相談しながら要件定義から詳細設計をAIに作成させ、それら設計書に従ってAIにコーディングさせ、コメントもきちっと記述する、というスタイルでシステム開発をしています。多くの記事や企業が「AIのコーディング支援」に着目していますが、私はAIの真価はそこではないと、日々実感しています。この話は別件として、重説の作成にも同じようなことができないかと試してみましたが、部分的には対応できるものの、人間が難しいと感じるところはLLMも対応できませんでした。

重説作成の実務的課題とAIの可能性

不動産取引において、重説作成は専門性と正確性が求められる重要業務です。この書類には物件の基本情報から法的制限まで、買主の意思決定に関わる重要事項をすべて記載する必要があります。

不動産取引の現場では、登記情報、公図、各種法令による制限情報、インフラ状況、境界確定資料など、様々な情報源から必要事項を抽出・整理し、漏れなく記載しなければなりません。特に都市部の複雑な土地では、建築基準法上の道路や接道状況、容積率・建ぺい率の計算、都市計画法による用途制限、高度地区による高さ制限、景観条例による外観規制など、多岐にわたる法的制限を正確に把握する必要があります。

土地の履歴や周辺環境も重要です。ハザードマップによる災害リスク、過去の土地利用履歴(土壌汚染の可能性)、周辺の公共施設や交通アクセスなど、買主が知るべき情報を網羅しなければなりません。中古物件では建築当時と現在の法規制の違いも考慮する必要があり、場合によっては自治体への直接確認が欠かせません。

これらすべての情報を適切に整理し、法的に正確な形で重説に反映させる作業は、熟練した宅建士でも相当の時間と労力を要します。この複雑なプロセスこそ、AIによる支援が大きな価値を生み出せる領域だと考えています。

最近、中国人投資家向けの物件を扱った際、重説を中国語に翻訳する必要がありました。この時、補足資料も含めて翻訳が必要となり、AIの翻訳機能に大いに助けられました。この経験から、「重説作成自体もAIが支援できるのではないか」という発想が生まれました。

海外事例:中国Deepseekの業務効率化事例

最近読んだ記事によれば、中国ではDeepseekのようなローカルで動作するLLMが、多くの企業や行政機関で採用され、書類作成業務の効率を劇的に向上させているそうです。官公庁の文書作成、企業の契約書類、報告書など様々な定型業務がAIによって効率化されています。

彼らのアプローチは単純ではありますが効果的です。膨大な公文書や契約書のデータをAIに学習させ、特定の業種や用途に特化したモデルを作り上げているのです。必要な情報さえ入力すれば、適切なフォーマットで書類を生成してくれるシステムが日常的に活用されています。

「日本も真似してほしい」と思いましたが、方眼紙Excelが今だに主流の日本の行政・企業文化では、なかなか難しいのかもしれません。それでも、民間企業が先行してこの分野に踏み出す価値はあるはずです。日本のAI利用率の低さは、特に行政や大企業の申請書類など、基本的な業務プロセスにおいても明らかです。

日本の現状:重説AIが実現されていない理由

では、なぜ日本ではまだ重説作成AIが実現されていないのでしょうか?市場調査によると、いくつかの企業が部分的なソリューションを提供し始めています。例えば、登記情報のデータ化サービス、物件情報管理システムに連動した書類作成支援ツール、あるいは重説の一部項目(物件概要や法的制限など)を自動入力する機能を持つ不動産管理システムなどです。しかし、完全に自動化された包括的なシステムはまだ一般的に普及していません。

その理由として考えられるのは:

  1. 法的責任の問題:重説は宅建業法上の重要義務であり、誤りがあった場合の法的責任が大きいため、完全自動化への慎重な姿勢がある

  2. 複雑な情報統合:登記情報、都市計画情報、インフラ情報など異なるソースからのデータ統合が技術的課題となっている。また、各自治体ごとに異なる都市計画情報の扱いなど地域差への対応も難しい

  3. 専門知識の壁:AI開発者と不動産専門家の知識の融合が必要だが、両方の知識を持つ人材が少ない

  4. データ収集の課題:精度の高いAIを構築するには数百件以上の重説と関連資料のデータが必要だが、そのデータ収集は個人や小規模企業では困難

理想的には業界団体のような公的な団体が業界標準となるシステムを開発・提供することが望ましいでしょう。標準化の推進、膨大な事例データの集約、法改正に伴う一括アップデートなど、公的機関だからこそできることがあります。しかし、組織的な意思決定の遅さ、技術的ノウハウの不足、既存業務との摩擦などから、実現には時間がかかりそうです。

重説の不備がもたらすリスク

新規や経験の浅い宅建業者は、重説の不備による事故率が高い傾向があり、実際に行政への苦情も多いです。実際、取引苦情の中で「重説」の不備に関するものが最も多く、記載漏れや内容の不一致など、書類上のミスが頻発しています。

不動産は高額な取引であるため、重説の不備を理由に契約解除や補償請求を持ちかける事例が存在します。重大な違反でなければ即時解除は難しいですが、不備を理由に補償や再説明を求められるケースが現実的です。こうした「不備を突いて金銭を引き出そうとする」動きや、それを指南する業者も一定数存在すると指摘されています。

こういった苦情やリスクを低減させるためにも、重説AIが不可欠と言えるでしょう。

結論

技術的には、重説作成AIは十分に実現可能です。不動産査定AIと同様、重説AIも技術的に特に革新的なアルゴリズムが必要なわけではありません。むしろ、正確なデータ収集と整備、専門知識の適切な実装が鍵となります。

なお、重説も契約書もひな形は業界団体から提供されており、これらを活用することで開発の負荷を軽減できます。AIが新しく文書を生成するのではなく、既存のテンプレートに適切なデータを埋め込むアプローチも現実的でしょう。

余談ですが、「月々わずか2万円で資産構築」などと謳う一部のマンション投資などのビジネススキームを展開する会社では、買い手に金銭的負担を押し付けることで業者の利益に偏った契約内容になっていることがあります。

単純な話で、相場の2割引きで購入した不動産を相場の2割増しの価格で販売する、といったビジネスモデルです。また、投資用マンションにもかかわらず、住宅ローンを組ませることも少なくありませんが、金融機関への詐欺になる可能性が高いです。

そういった会社は業界団体のひな形を使わない傾向があるようです。こうした物件は絶対に買ってはいけないと言えるでしょう。

次回は、重説作成AIの開発課題と段階的実現方法について詳しく検討していきます。