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業界洞察

人月と付加価値 - 日本のIT業界が抱える構造的問題(第1部)

人月と付加価値 - 日本のIT業界が抱える構造的問題(第1部)のイメージ

日本のITシステム開発における見積もり手法として、現在でも「人月」が主流となっています。これは単純に「人数×期間」で工数を算出する方式です。一方、グローバルな開発現場では、成果物がもたらす「付加価値」をベースとした見積もりが一般的です。

なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。この違いの根底には、日本特有の文化的背景があると考えられます。

日本の文化的背景と「平等」の価値観

効率より過程を重視する思考

日本の文化的特徴を端的に表す例として、1から100までの合計を求める問題を考えてみましょう。この場合、二つのアプローチが考えられます:

  1. 1から100まで順番に足していく方法
  2. 101×50で計算する方法(等差数列の和の公式を使用)

日本の価値観では、多くの場合、1番目のアプローチをとる人のほうが評価される傾向にあります。これは、「一つ一つ丁寧に」という美徳を重んじ、「近道」を良しとしない文化、そして全員が同じように取り組むことへの信頼に基づいています。

稲作文化と村社会の影響

この「平等」重視の価値観は、日本の稲作文化に深く根ざしているように感じます。稲作という農業形態は、集団での協調作業が不可欠となり、個人の突出を抑制する傾向が生まれました。村社会の特徴として共同体としての意思決定、リスクの分散、相互扶助の精神があり、これが現代に「出る杭は打たれる」という考え方や効率より公平性を重視する傾向として残っています。

精神性と合理性の相克

「空気」を重視する文化

日本の組織では、しばしば合理的な判断よりも「空気を読む」ことが優先されます。これは最悪のケースを想定すること自体がタブー視されたり、「縁起でもない」という理由で議論が制限されたりする形で現れます。また、論理的な指摘よりも場の調和を重視し、データよりも「以前からの慣習」を優先する傾向があります。

「額に汗して働く」という価値観

日本では伝統的に「額に汗して働くこと」が美徳とされてきました。この考え方は、時間をかけて丁寧に仕事をすることを重視する日本の職人文化とも密接に結びついています。

逆に言えば、短時間で大きな成果を上げること、いわゆる「楽して稼ぐ」ことへの否定的な見方が根強く存在します。これは投資やギャンブルだけでなく、知的労働の価値評価にも大きな影響を与えています。

目に見える努力と目に見えない価値

日本の商習慣において特徴的なのは、「目に見えるもの」に価値を置く傾向です。この傾向は、特に知的財産や無形資産の評価において顕著に表れます。

例えば、人権、著作権、特許権、商標権などの権利は、目に見えないものであり、その価値を適切に評価することが日本では特に難しい傾向にあります。

具体例を挙げてみましょう。50万円の現金と50万円相当のソフトウェアでは、多くの場合、現金のほうが「価値がある」と認識されます。これは、ソフトウェアの価値が目に見えないためです。

IT業界への影響と世代間の価値観の違い

システム開発における問題点

このような文化的背景は、システム開発において潜在的な問題点の指摘が躊躇される、必要な対策が先送りにされるなどの問題を引き起こしています。また、現実的な工数見積もりができない、「空気」を優先した意思決定がされるなど、プロジェクト管理の歪みも生じています。

世代による価値観の変化

しかし、近年では世代による価値観の違いが顕著になってきています。人月制は「みんな同じように頑張る」という価値観と親和性が高く、能力差による評価は「不平等」と感じられがちでした。

一方、若い世代では異なる価値観も見られます。異世界転生作品の人気に見られる効率重視の思考、「普通」であることからの脱却願望、グローバルな価値観への共感などが特徴的です。

グローバルな視点との乖離

国際的な開発現場では、データに基づく意思決定、オープンな問題提起、効率性の追求などが当たり前となっています。この違いは、日本のIT企業がグローバル市場で競争する際の大きな障壁となっています。

変化の兆し

しかし、最近ではスタートアップでの能力主義の採用、成果ベースの評価システムへの移行、「チート的」な生産性向上の許容など、変化も見られ始めています。

まとめと今後の展望

日本のIT業界における人月ベースの評価システムは、日本の文化的背景と深く結びついています。特に稲作文化に基づく平等重視の価値観、「空気」を重視する意思決定、目に見える努力の重視などの特徴は、グローバル競争において課題となっています。しかし、若い世代を中心とした価値観の変化は、今後の変革の可能性を示唆しています。

次回は、この問題が実際の開発現場でどのような形で現れているのか、35年にわたる実務経験から具体的な事例を交えて検証していきます。