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業界洞察

制度疲労社会の現実―「変えられないなら壊すだけ」に込められた危機感

制度疲労社会の現実―「変えられないなら壊すだけ」に込められた危機感のイメージ

ドラマのキャッチコピーが示す危機感

「変えられないなら壊すだけ」というドラマ「御上先生」のキャッチコピーには、制度疲労を起こした日本社会への強い危機感が表れています。 これは、日本のAI・IT産業が直面している閉塞状況とも重なるメッセージです。 「腐った教育現場に立ち向かう大逆転教育再生ストーリー」というフレーズからは、根本的な変革への渇望が読み取れます。

ドラマの中では、不登校の子どもが34万人に達するという衝撃的な数字が示され、 「これまでの学校の仕組みからこぼれ落ちてしまう子どもがこれだけいる」と指摘されています。 この数字は、従来の教育システムがもはや現代社会のニーズに適合していないという、制度疲労の明確な証左と言えるでしょう。 御上先生のモデルとされる横浜創英中学校・高等学校の元校長、工藤勇一氏はドラマのトークイベントで、 「受験を前提とした学力偏重の日本の教育システムは、世界的にはかなり変わっています。 そのほころびが、不登校やいじめ、教員の過重労働などさまざまな問題として浮かび上がっている」と指摘しています。

この制度疲労は教育現場に限らず、日本のIT産業全体にも深く浸透しています。 システム開発の多重下請け構造、実装者と管理者の分断、肩書き重視の評価システムなど、 IT業界の構造的問題は別記事でも詳しく論じているとおりです。

ここでは述べませんが、皆さんも様々な分野で制度疲労を肌で感じることが多いのではないでしょうか? これがまさに、私たちが直面している根本的な課題なのです。

「ゆでガエル」状態の日本とAI革命の危機

日本社会は「ゆでガエル」状態に陥っています。この国はどうすればいいのかは分かっていても、誰も動かない状況が続いています。 動いた人は「出る杭」とみなされ、打たれて終わります。 シャープや日産の例が示すように、誰もが「仕方がない」と納得できる「不可抗力」がなければ、改革ができないのが日本社会の特徴です。

この「ゆでガエル」状態は、日本特有の文化的要因によって強化されています。 日本は不確実性回避指数が世界で最も高い国の一つであり、これが変化への抵抗に大きく影響しています。 「困難や苦難に直面しても『忍耐強く辛抱する』という価値観や美徳」が根づいており、変化の必要性を認識しながらも現状に耐え続けることを選択しがちです。

シャープの事例では、液晶関連施設への巨額投資が経営危機の原因となりましたが、これは「経営トップの判断に『ノー』と言えない雰囲気」が根底にありました。 結局、2016年に経営危機に陥り、外部の鴻海精密工業の傘下となることで初めて抜本的な改革が進みました。

日産の例も同様で、1990年代末の経営危機時にルノーとの提携を余儀なくされ、 カルロス・ゴーンの主導により「収益指向の欠如」「顧客指向の欠如」「危機感の欠如」などが指摘され、大規模な構造改革が行われました。

これらの事例は、日本企業が自発的に変革を進めることの難しさを示しています。 日本社会においては、責任の所在をうやむやにする集団意識と、特定の状況で個人を「人柱」として責任を負わせる傾向が共存しており、 この複雑な状況が変革への大きな障壁となっています。

AI活用においても同様の問題が見られます。

多くの日本企業は、AI技術のトレンドには乗り遅れたくないという表面的な関心を示しながらも、具体的な活用や投資に踏み切れない状況にあります。 私の周囲でも中小企業の経営者たちがAIのことを知りたいと言いつつ、自分で時間を使って調べることはしないという矛盾した行動が見られます。 何ができるか分かっていないから必要性を感じない、でもAIを口にしないとトレンドに乗り遅れるという表面的な関心と実質的な無関心が共存しているのです。

同時に、AIの急速な発展、特にLLM(大規模言語モデル)の進化により、IT業界の従来の評価基準が根本から変わりつつあります。 プログラミングの方法論自体がAIとの協働へとシフトする中で、従来の資格制度や認定プログラム、 競技プログラミングやハッカソンのようなスキル評価の枠組みが急速に陳腐化しています。

特にLLMを活用したオーグメンテッド開発の台頭により、コーディングスキルよりもAIとの協働能力や適切な指示を出す能力が重要になってきています。 人間が数日かけて行う作業をLLMが数分で完了させることで生産性が飛躍的に向上し、 さらに複数人でのチーム開発における人間関係の調整コストも削減できるこの開発手法は、 従来の生産性測定の枠組みを根本から覆しています。

これは暗算能力を競うことが数学能力の全てではないのと同様に、従来型のコーディングスキルだけでは不十分な時代になってきているのです。 「Node.js 3年以上」「Python経験5年以上」といった従来型の募集要件も急速に意味を失いつつあります。 特定言語の経験年数よりも、新技術への適応力やAIツールとの協働スキルが重要になっているにもかかわらず、 多くの日本企業が今だに旧態依然とした基準でエンジニアを募集していることは、この国のIT産業の後進性を如実に示しています。 しかし、業界全体の評価システム自体の再構築が急務となっているにもかかわらず、その改革に踏み出せないのが現状です。

「Personal is Political」の意味するもの

ドラマ「御上先生」で多用される「Personal is Political(個人的なことは政治的なこと)」というフレーズは、 個人の経験や問題が社会の構造的な問題と密接に結びついているという深い洞察を表しています。

この言葉は元々1960年代のフェミニズム運動から生まれたスローガンで、 女性たちが「私的な問題」として片付けられていた経験(家庭内の不平等、家事の負担、性差別など)が、 実は社会構造に組み込まれた政治的問題だという認識を広めるために使われました。 ドラマでこの言葉を使用することは、現代の教育問題も個人の問題ではなく社会構造の問題であるという認識を示しています。

AI・IT産業においても「Personal is Political」の視点は重要です。

一人のエンジニアが感じる「実装者の地位の低さ」や「理論と実践の分断」といった個人的な経験は、客観的データからも裏付けられる日本社会全体の構造的問題です。 調査によれば、日本のIT人材不足は深刻で、国内での人材育成の取り組みは長年の遅れを取り戻すには不十分である状況が続いています。 IT人材の総数は多いものの、経済産業省の報告によると、高度なスキルを持つ人材(高度IT人材)の不足が指摘されています。

特に問題なのは評価システムの欠陥です。 「非エンジニアの経営者が多く、技術がない人が実力を判断することが難しい状況」や「技術者が軽視される傾向」が指摘されています。 また、「ITエンジニアの仕事は目に見えない場合がほとんど」であるため適切に評価されにくいという構造的問題も存在します。 評価する立場にある人が「全然わかってない」状況では、メリットベースの評価が成立しません。

これらの問題は単に個人の能力や努力の問題ではなく、社会システムそのものに組み込まれた問題なのです。 産学連携における補助金依存の課題なども含め、個人の経験を超えた社会構造全体の問題として捉える必要があります。

「御上先生」が提示するのは、こうした個人の経験から出発し、社会の構造的問題へと視野を広げていく思考法です。 個人の問題を単に個人の責任として片付けるのではなく、その背後にある社会の仕組みや価値観を問い直す姿勢が必要なのです。

この問題意識は、IT業界の人事システムにも深刻な影響を与えています。 学歴や所属組織が個人の能力や貢献よりも評価される風土は、イノベーションが求められるIT業界において特に大きな足かせとなっています。 「Personal is Political」の視点から見れば、一人ひとりの技術者が直面する評価の不公平さは、 単なる個人的不満ではなく、社会構造の問題として認識されるべきなのです。