失われた品質基準:技術国家敗戦の記録 第1部 - 品質文化の黄金時代とMicrosoftの破壊
よくある質問 (FAQ)
1990年代の日本IT企業の品質基準はどのようなものでしたか?
当時の日本企業の品質追求はどの程度厳しかったのですか?
Microsoftはどのように品質基準を破壊したのですか?
MicrosoftのEEE戦略とは何ですか?
Netscapeに対してMicrosoftはどのような行動を取りましたか?
当時のIT業界ではMicrosoftに対してどのような感情を持っていましたか?
筆者のMicrosoftとの個人的な体験とは?
私は1990年代にシステム開発を経験している。 20代で富士通の仕事を業務委託で請け、一回り年上の技術者たちから品質を叩き込まれた。 当時終焉が始まっていたCOBOLやPL/Iを使う勘定系ではなく、 まさに黎明期から普及期に移りつつあったunix/C言語による制御系のシステム開発だった。
その時代を知る者として、記録する責任がある。 これは愚痴ではない。 滅びゆく技術国家の記録だ。
1988-1995:失われた品質文化の実像
日本企業の品質基準とは何だったか
当時の日本IT企業は世界最高水準の品質管理を実践していた:
- V字モデルの徹底実践:要件定義から単体テストまで、各工程で成果物の品質を数値化
- 基幹3大メトリックス:バグ密度、規模(ステップ数)、工数の相関を常に監視
- SRGM(ソフトウェア信頼性成長モデル):バグ収束曲線による出荷判定
- NECの品質会計:出荷後バグを5年で1/20に削減(1985-1990年代)
日本電気、富士通、三菱、日立…どこも妥協を許さない。いわゆる電電ファミリーである。 三菱電機大船事業所では、電車が大船駅に近づくだけで「三菱のマークを見ると胃が痛くなる」と言う技術者がいるほど、徹底した品質追求で知られていた。 日立戸塚工場も同様で、その厳しい技術教育から「戸塚プログラミングスクール」と呼ばれるほどだった。
これは「過剰品質」ではなかった。 世界市場で戦うための最低条件だった。
Microsoftが破壊したもの
品質より市場支配の戦略
品質よりもスピード、この風潮をリードしたのは確実にMicrosoftだった。
実情はこうだった。 WindowsやIEのバグがひどくて、その上に構築された各種製品やサービスは品質を担保できなくなった。 なし崩し的に品質基準が下がっていったのだ。 Windows 95 OEM4など、ごり押しでIEをOSに突っ込んでおきながら、テストバージョンは門外不出。 アプリケーションメーカーはWindowsがリリースされてから慌ててテストし、対応に追われた。
私の会社の製品は大手企業のPCにプレインストールされていたので、メーカーから秘密裏にWindowsを借りることができて、難を逃れた。 そんな異常な状況だった。
当時、IT業界ではMicrosoftの独占的手法への反発を表すジョークが流行していた。 最も有名なのは「同じ部屋にヒトラー、サダム・フセイン、ビル・ゲイツがいる。銃には弾が2発しかない。どうする?」という問いかけ。 答えは「ビル・ゲイツに2発撃つ」。
これが1990年代のIT業界の空気だった。 技術者たちは、Microsoftの市場支配戦略に対して、これほどまでの警戒心と反感を抱いていたのだ。
Microsoftの思い出
私自身、とても寒い思いをした体験がある。 北京のスタッフが何を考えたか、次期Windows95に当社製品を実装してください、とMicrosoftにメールしたのだ。 それくらいならいい。どうせ無視されるだろう。 ところが、返事が来た。 「大変興味深いので、まずはNDAを結ばない同意書にサインをしてから、あなた方と話をしたい」と。
北京のスタッフは大喜びだったが、私は恐怖を感じた。 家族で海で遊んでいたらサメがいる。刺激しないように海から上がろうとしているのに、子供が無邪気に「ねー!あそこにサメさんがいるよー!」と大はしゃぎしているようなものだ。
私は慌ててソニーの安藤氏(のちのソニー社長)に連絡を取り、相談した。 その内容は…秘密だ。 ただ、それで一安心して、Microsoftとは連絡を取らなかった。
これがMicrosoftという企業の実態だった。 ジョークは決して誇張ではなかった。
「危険な芽を摘む」戦略
Microsoftの戦略は「Embrace, Extend, Extinguish」(EEE)。
- Embrace(受け入れ):オープン標準に準拠したソフトウェアを開発
- Extend(拡張):独自機能を追加し、相互運用性を破壊
- Extinguish(排除):市場シェアで標準化し、競合他社を排除
1995年のMicrosoftは財務的には急成長を続けていた。 時価総額225億ドル、年平均50%の成長率を記録していたのだ。 にもかかわらず、なぜMicrosoftがこのような戦略を取ったのか。 それは将来的な脅威への予防的対応だった。
有名なのはNetscapeだ。1995年頃は約80%以上の市場シェアを持つ圧倒的なブラウザだった。 さらにNetscapeは「Constellation」というWebベースシステムを開発し、「OSは重要ではなくなる」という未来を描いていた。 これは現在のクラウドコンピューティングの先駆けだった。
Netscapeの共同創設者Marc Andreessenによると、Microsoftは「Windows 95市場を支配するので、Netscapeは手を引くべきだ」と脅迫した。 彼はこの会議を映画『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネとの会談に例えた。 NetscapeのCEOは「35年のビジネスキャリアで、競合他社がこれほど露骨に『競争をやめるか、さもなくば殺す』と示唆した会議は経験したことがない」と証言している。
1998年8月から1999年6月の間に、Internet Explorerの使用シェアは49%から57%に上昇し、2000年4月には69%に達した。 同期間にNetscapeのシェアは48%から34%、そして19%まで下落した。 Microsoftは最終的に「ブラウザ戦争は終わった」と宣言するまでに至った。
品質より市場支配
1990年代中頃までに、Microsoftは90%のPC市場を支配していた。 同社のOEM部門上級副社長は、PC製造業者に対して「Microsoftが望む通りの価格と条件でWindowsを出荷しなければ、Windowsを提供しない」と脅迫していた。
業界関係者は「成功したソフトウェア企業には基本的に2つの選択肢しかなかった。 Microsoftに模倣されて駆逐されるか、Microsoftに買収されるかだ」と証言している。
同じ頃、Adobe等の米国系企業も顧客満足度は下がったが、シェアは拡大していた。 品質より市場支配が勝利する時代の到来だった。