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技術革新AIとの付き合い方 第1部:未知なる知的存在との出会い

漠然とした不安と恐怖
「いずれ人間はAIに支配される」
ある知人は、こう真顔で語り、AIには一切触れようとしません。また別の知人は、「AIはよく分からない、不安だ、怖い」と言います。まるで見知らぬ外国からやってきた人を前にして、どう接していいか分からない…そんな戸惑いに似た感覚のようです。
こうした反応は、実は多くの日本人に共通しているのかもしれません。実際、調査によると、日本は諸外国と比較して、企業でも個人でもAIの利用率が極めて低いことが判明しています。
特徴的なのは、これらの不安や恐怖が、具体的な経験や理解に基づくものではないという点です。AIと実際に触れ合うことなく、漠然とした不安だけが先行しているのです。
メディアと権威者が作り出す偏見の構図
この状況に追い打ちをかけるように、新聞やテレビといったオールドメディアでは、権威ある識者たちが警鐘を鳴らし続けています。
「AIは嘘をつく」
「ChatGPTは信用できない」
「AIの回答には裏付けがない」
これらの主張の多くは、実はAIを実際に使用した経験から導き出されたものではありません。むしろ、AIを従来の「データベース」や「検索エンジン」のような存在として誤って理解し、その「不完全さ」を批判しているに過ぎないのです。
この状況は、SNSに対する伝統的メディアの態度と驚くほど似ています。「SNSは取材や裏付けがない」と主張するオールドメディアですが、皮肉なことに、従来のメディアこそが重大な誤報や捏造を繰り返し、都合の悪い事実を「報道しない自由」の名の下に隠蔽してきた歴史があります。
一方、現代のSNSでは:
- 多様な視点からの検証が行われる
- 誤情報は素早く指摘され訂正される
- 重要なスクープの発信源となっている
- より幅広い議論が可能
にもかかわらず、SNSを実際に使用した経験のない「権威者」たちは、伝聞だけを基に「SNSは信用できない」と決めつけています。この構図は、現在のAIへの態度と酷似しています。
- 実体験なく批判する
- 従来の枠組みで評価しようとする
- 新しい可能性を見ようとしない
AIという新しい知的存在との出会い
しかし、考えてみてください。 子供たちは、初めて会う人や新しいものに対して、必ずしも恐怖心を抱くわけではありません。 むしろ好奇心を持って接することが多いのではないでしょうか。
子供たちは、時としてボールや人形を「友達」として扱います。 無機物であるボールでさえ、子供の想像力によって「友達」になれるのです。 であれば、人間のように会話ができ、共に考えることのできるAIを、なぜ「パートナー」として受け入れることができないのでしょうか?
実際、AIは従来の「道具」でも「生物」でもない、全く新しい第三の知的存在です。 あえて言えば「疑似知性」とでも呼ぶべき、人類がこれまで出会ったことのない存在なのです。 その特徴は次のようにまとめられます。
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データベースとの違い
- DBは正確な情報の蓄積と検索が目的
- AIは対話と推論による新しい知見の創出が特徴
- 「正確性」という基準自体が不適切
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人間との違い
- 感情を持たない(怒らない、すねない、嫉妬しない)
- 物理的な制約があり安全(殴らない、蹴らない、噛みつかない、ものを投げない)
- 承認欲求がない(見栄を張らない、自慢しない)
- 対価を求めない(利用料は必要)
- しかし、人間のように対話と思考が可能
- 人間同様に間違いを犯すことがある
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道具との違い
- 同じ入力でも状況により異なる応答
- 創造的な提案や予期せぬ発想が可能
- 対話を通じた相互理解と成長
対話における普遍的な姿勢
重要なのは、AIとの対話も、人間同士の対話も、本質的に同じ姿勢で臨むべきだという点です。
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批判的思考の重要性
- 相手が人間であれAIであれ、言われたことを鵜呑みにしない
- 提供された情報や意見を自分の文脈で解釈し直す
- 疑問点があれば質問し、対話を深める
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相互理解と成長
- 対話は単なる情報のやり取りではない
- 異なる視点との出会いを通じて自己の考えを深める機会
- 間違いを恐れず、それを学びの糧とする姿勢
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個々の特性の理解
- AIも人間も、それぞれに長所と短所がある
- 完璧な正解を求めるのではなく、対話を通じて真実に近づく
- 相手の特性を理解した上で、適切な関係性を築く
新しい可能性の開拓
このような新しい知的存在との付き合いは、私たち一人一人の可能性を飛躍的に広げる潜在力を秘めています。
- 従来の権威や階層に縛られない自由な対話
- 感情的しがらみのない純粋な知的探求
- 予期せぬ発想や視点との出会い
- 個人の創造性や思考の拡張
より普遍的な対話の視点へ
AIとの対話を特別視するのではなく、むしろ人間同士のコミュニケーションと共通する普遍的な観点から捉え直すことで、より建設的な関係性を模索できるのではないでしょうか。
情報があふれる現代において、その情報源が人間であれAIであれ、常に自分で考え、解釈し、昇華させていく姿勢が不可欠です。特に「批判的思考」は、現代社会において非常に重要なスキルといえます。
求められるのは、既存の概念への当てはめを避けつつ、実際の体験を通じて理解を深めていくことです。 また、新しい関係性の可能性を探求する姿勢を持ち、提供される情報を自分の文脈で解釈し直すことが必要です。 そして、対話を通じて相互理解を深める努力を続けることが望ましいでしょう。
AIという新しい知的存在は、私たちの思考や創造の可能性を大きく広げる可能性を秘めています。 それを活かすためには、先入観や漠然とした不安にとらわれず、 実際に触れて、対話を重ねるしかありません。 既存の権威や固定観念から自由になり、新しい関係性を模索する勇気が必要なのです。
その過程で重要なのは、AIとの対話も人間同士の対話も、 本質的には同じコミュニケーションの一形態として捉えることです。 相手が人間であれAIであれ、その特性を理解した上で、批判的思考を持ちながら対話を重ね、 そこから得られた知見を自分なりに昇華させていく。 このような普遍的な姿勢こそが、新しい知的存在との健全な関係を築く基盤となるのではないでしょうか。