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技術文化史

バブル崩壊後のIT業界における技術者の生存戦略:個人的体験から見る転換期の選択

バブル崩壊後のIT業界における技術者の生存戦略:個人的体験から見る転換期の選択のイメージ

1990年代のIT業界前編・後編を総括してみました。

90年代初頭のシステム開発~新人エンジニアが見た人月商法~(前編)
90年代初頭のシステム開発~新人エンジニアが見た人月商法~(後編)

バブル崩壊後の業界の現実

日本のバブル経済は不動産がけん引した。不動産価格の上昇とともに株価も上昇した。 これは昨今の中国経済と同じ構図である。

私がアルバイトをしていた1989年は、12月に日経平均株価が史上最高値38,915円87銭を記録した。 しかし、この年に始まった日本銀行による金融引き締め政策と、 翌年の大蔵省による不動産融資の総量規制により株価と地価が急落、 1990年末には株価が23,000円台まで落ち込んだ。

日本のバブル経済は崩壊した。

ちなみに、35年経った2024年12月の日経平均株価は39,000円台である。

倒産の連鎖

私がバイトをしていた会社は1992年に倒産した。このことを知ったのは、 後年、税務署から私にかかってきた電話だった。

「あなたが過去に勤めた○○社は1992年に倒産しました。 あなたが辞めたせいで会社は倒産したと、社長が言っていますが、本当でしょうか?」

たった半年在籍した、学生アルバイトが辞めたせいで、会社が倒産するなどあり得ないと思う。

会社に残った同僚たちとは、退職後もよく遊んでいたので、会社の状況は聞いていた。 その会社は私が辞めた後、従業員が次々と辞め、最終的には倒産に至ったらしい。 たまたま私が辞めた時期に、それまで積もり積もった膿が一気に噴き出しただけで、私のせいではない。 転職した社員は、口々に「あの社長にはついていけない。」と言っていたのだ。

会社の倒産をアルバイトのせいにするくらいの器の小さな人間だから、 そもそも経営なんて無理だったのだ。

業界構造の変化

バブル崩壊後もIT人材の需要は続いていたが、市場の質は大きく変化していた。 この時期、未経験者や初心者を大量に束ねて派遣するような案件は減少し、 IT業界全体が効率化を求められる中で、即戦力となる技術者が求められるようになった。 特に、ダウンサイジングの波によってメインフレームからクライアントサーバーシステムへの移行が進み、 COBOLエンジニアの需要が急激に減少した。

COBOLの受け皿となったのは、当初UNIXをベースとしたシステムだったが、 Windows NTやそれに関連する技術の台頭が徐々に市場を変えていった。

一方で、制御系システムの需要は依然として安定しており、 企業の業務や工場の自動化を支える重要な分野として存在感を維持していた。

このような市場の変化に適応できず、従来のビジネスモデルに固執していた派遣会社は淘汰されていき、 IT業界では技術者の流動化が進む一方で、新人を育成する余裕がなくなり、 未経験者の参入がますます難しくなっていった。 結果として、人材育成の機会が失われ、業界全体の新陳代謝が著しく低下する兆しが見え始めていた。

売り手市場の罠

バブル期の誤った楽観論

私が学生だった時代は、日本はバブル経済の最中で就職は超売り手市場だった。 多くの同世代は、この状況が永遠に続くかのように楽観的に考えていた。

そんな中で私は、必死で技術を習得し、 同世代が担当できないような案件を次々とこなしていった。 友人たちは私の姿を見て、「なんで、そんなに必死に仕事するんだ?」と疑問視した。

私の答えは明確だった。

「いつまでも、こんなおかしな時代は続かないよ。 30歳になる頃に時代は変わってる、だから今、必死にならないとダメなんだよ!」

時代が証明した選択

この予測は的中することになる。 最近の調査によると、「バブル世代」と呼ばれる私の同世代は、以下のような評価を受けているという。

  • コミュニケーション能力は高いが、根拠なく楽観的との評価
  • 氷河期世代からは「使えない」と見下される傾向
  • リスキリングや学び直しの必要性が高まっている
  • 技術革新への対応が必須とされる

皮肉なことに、この評価は当時の私とは正反対の立ち位置を示している。 バブル期の浮かれた空気に流されず、 将来を見据えて技術力を磨く選択をしたことが、 結果として正しかったことを証明している。

歴史は繰り返す

この経験は、現代のIT業界にも重要な示唆を与える。 一時的な好景気や人材不足に惑わされず、 将来を見据えた技術力の向上と自己研鑽が、 長期的なキャリアを支える本質的な要素となる。

目先の条件の良さに惑わされず、技術の本質を追求する姿勢。 それは30年前も、そして現代でも、エンジニアとして生き残るための重要な選択なのだ。