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エンジニアリング日本のIT産業が抱える構造的課題:35年の現場経験から見た展望

近年発生している重大インシデント(東証システム障害、コンビニ交付システム障害、全銀システム障害など)は、 IT産業の構造的問題が社会に及ぼす影響を如実に示しています。 35年の現場経験から見えてきた日本のIT産業の課題と、その本質的な原因について考察します。
職場環境の実態
2014年のIPAの調査によると、日本のSEの職場環境は深刻な状況にあることが明らかになっています。
- 困ったときに相談できる人が職場にいるSEの割合はわずか20%(米国は50%)
- 同僚に恵まれていると感じている割合は調査対象国中最下位
- 自分に合っている仕事をしていると考えているSEの割合も最下位
この状況の根本的な原因は、日本特有の就労形態と雇用慣行にあります:
- 労務提供型の就労形態
- 工数ベースの契約が主流で、生産性向上のインセンティブが働かない
- 多重下請け構造により、下層の技術者ほど待遇が悪化
- 日本型の雇用慣行
- 専門的なスキルが必要な部門であるため、一度配属されると異動が難しい
- 上昇志向の強い優秀な人材から敬遠される
- 経営者からはコスト部門とみなされ、社内での地位や発言力が低下
- SEとしての能力向上インセンティブの欠如
- 主体性を持って働くことができる環境になっていない
- 守りの思考が染みつき、意欲が減退
- 好奇心旺盛で前向きな思考が育ちにくい環境
これらの要因が相互に関連し合い、負のスパイラルを形成していることが、日本のSEの職場環境を悪化させている本質的な問題なのです。
国際的に貧弱な職場環境の原因
最新の調査研究によれば、この状況の背景には日本のIT産業が抱える構造的な問題があります。 業界の特徴として小零細企業や小規模事業所が多く(85%以上が中小企業)、企業間に形成されている重層的な分業構造が継続しています。 また受注ソフトウェア業が80%台後半を占める構造も変わっていません。
業務遂行体制にも問題があります。 一般的なプロジェクトチーム方式では、技術者の能力適性よりも時間的余裕で場当たり的にチーム編成が行われ、 リーダーが複数プロジェクトを掛け持ちするため責任が不十分となり、 技術者集団が長期的に固定されないために人材育成が困難になっています。
このような状況は、重層的下請け構造により開発が下流工程に進むほど受動的になり、 工数ベースの契約が主流で生産性向上のインセンティブが働かず、 キャリアアップの展望が開けないという不安を多くの技術者が抱えるという負のスパイラルを形成しています。 個々の技術者の能力や意欲の問題ではなく、産業構造や業界特有の商慣行、雇用慣行が複合的に作用して、 日本のIT/SE人材の質的な課題を生み出しているのです。
システム品質低下の構造的背景
現代社会では、ITシステムは重要な社会インフラです。 このことは近年発生している重大インシデントからも明らかです。 東京証券取引所のシステム障害は取引停止により市場機能を麻痺させました。 コンビニ交付システムの障害は住民票などの証明書発行ができなくなり市民生活に影響を及ぼしました。 全銀システムの障害は銀行間取引に支障をきたし経済活動を混乱させました。
しかし、同じく社会インフラの建築や土木に比して、ITシステムはあまりにも自由です。
システム開発会社の社会的責任
多くの企業が「きれいなコードを書ける人材は少数で高コスト」という現実に直面しています。 その結果、「汚くてもコードが動けばいい」という考えのもと、安価な労働力を求める傾向があります。 営業部門や経営陣にはコードの品質が見えないため、この判断を後押ししてしまいます。 このような利益至上主義が社会のインフラをむしばんで、世の中が不便になっていきます。
建築・土木との比較
建築や土木分野では、品質管理の不備による問題が表面化し、その反省から法規制や資格制度が整備されてきました。 一方、システム開発分野ではまだそこまでの整備が進んでいません。 土木や建築と比べて技術進化の激しいIT分野に資格がなじまないことは、かねてより現場から指摘されてきたことです。 そこで新しい評価システムとして、コードの品質を「見える化」することが重要です。
具体的には、AIを活用してコード品質を数値化し、その数値を納品基準として導入することが考えられます。 そして、基準に満たないコードについては、リファクタリングを義務付けるような仕組みを整備します。
期待される効果
このような仕組みを導入することで、まず営業部門や経営陣にもコードの品質が理解できるようになります。 その結果、低品質なコードは受け入れられなくなり、必然的に品質向上への投資が進むことになるでしょう。 そして最終的には、社会インフラとしてのシステムの品質向上につながっていきます。
つまり、コードの品質を可視化し、基準化することで、システム開発業界全体の品質向上につながり、それが社会インフラの健全性を支えることになります。 これは単なる技術的な問題ではなく、システム開発会社が担うべき重要な社会的責任なのです。
AIによる品質評価の可能性
最新のAI技術は、コードの品質を多面的に評価することが可能です。 例えば、以下のような観点でコードを分析することができます。
- コードの複雑性分析
- 命名規則の一貫性チェック
- セキュリティリスクの検出
- パフォーマンス影響の予測
- ビジネスロジックの整合性確認
このような技術を活用することで、主観的になりがちなコード品質の評価を、より客観的な基準で行うことができます。
業界全体での取り組みの必要性
個々の企業だけでなく、業界全体での取り組みが必要です。 具体的には、以下のような取り組みが考えられます。
- 品質基準の標準化
- 評価手法の確立
- 教育・研修プログラムの整備
- 認証制度の創設
これらを通じて、システム開発の品質向上を社会全体で支える仕組みを作っていく必要があります。
日本のIT産業は「茹でガエル」
本稿では、システム開発会社の現状と課題について論じてきました。 しかし、この状況は今後も改善されないでしょう。 私が知る限り、35年前から業界構造は変わっていません。
日本のIT産業は、いわゆる「茹でガエル」状態にあります。 今の構造を改めないと先が無いと知りつつ、業界も大企業も変わろうとしない。 技術の進歩や国際競争の中で、徐々に世界から淘汰されていく運命にあるのかもしれません。 その兆候は既に様々な場面で見られます。
例えば、英語でのコミュニケーション能力の問題。 本来なら語学研修などを通じて英語力を身に付けさせるべきところ、 「ブリッジSE」という日本特有の職種を作り出すことで、その場しのぎの対応に終始しています。
このような状況下で、私たちにできることは何でしょうか。 若い世代や子供を持つ親たちに伝えたいのは、日本のIT産業に依存しないキャリアパスを真剣に考えてほしいということです。 グローバルな視点で語学や技術を学び、国際的な競争力を身につけることが、今後ますます重要になっていくでしょう。