ブログトップ

公開日:

更新日:

12 min read

技術文化史

新人エンジニアが人月を理解するまで~90年代初頭のシステム開発現場~(後編)

新人エンジニアが人月を理解するまで~90年代初頭のシステム開発現場~(後編)のイメージ

(前編はこちら)

多重下請けの舞台裏

手探りの開発現場

この会社の凄いところは、とにかく誰も何も教えてくれないことだった。 正確に言えば、この仕事について技術的に分かる人は社内に誰もいなかった。 知ってる人がいないから、私も聞く相手がいない。

この案件は、会社で初めての受託開発だった。しかも制御系のプロジェクトだ。 一方、社員は数名の総務とチームリーダーのT氏以外、全員が派遣社員で、銀行や証券会社向けの勘定系システムが専門だった。

開発部長は社長の実弟だったが、彼も勘定系が専門で、制御系のことは何も知らなかった。 実力はあったようで派遣されることが多く、エンジニアとしては兄である社長と経営について意見がかなり相違していた。

さらに厄介なことに、開発環境であるunixとC言語、そして独自のUIシステムについては、T氏もまったく知識がなかった。 UI部分とUIに関連する大半のデータ処理はすべて私に丸投げで、彼はUIのない、最終データ処理の部分だけを担当していた。

技術的なことはマニュアルや本で調べるしかなかった。 業務に関しては、すべて発注元に質問するしかなかった。

今のようにネットなんてなかった。LANすら普及していなかった時代だ。 携帯電話もメールも無い時代、って想像できますか? だから、駅の伝言板に「XYZ」とか書いていたわけですよ、当時は。 (シティーハンター、分かる人は分かる)

「しもしも~」とショルダーバッグみたいな携帯電話を肩から掛けている人は、 山手線の中でたまに見かけた。ああ、社長も持っていたなあ…

謎の打ち合わせメンバー

ある日のことだ。翌日はスーツを着て出社するように、開発部長から言われた。 そして翌日、出社すると打合せに向かったのは、開発部長とT氏と私、それに派遣要員の6名だった。

え?なんで?

だって、この人たち、普段は大手銀行に派遣されていて基幹系システムの保守をしている人たちだ。 会社になんてめったに来ないし、メインフレーム向けのCOBOLしか経験がないはず…

訳が分からん。

しかし、開発部長はぞろぞろと8名を連れて客先のビルへと入っていく。 この仕事の契約は次のような流れだと説明された。

【大手電機メーカー】→【大手電機メーカー子会社(発注元)】→【SIer(元請け)】→【派遣会社】→【バイト先】

うちはいわゆる「ひ孫請け」に該当する。 打合せは【大手電機メーカー子会社】のオフィスで行われた。 打合せにはSierや孫請けの営業担当も同席して20名近くになっていた。 開発部長が「彼らが開発を担当します。」と8名を発注元に紹介したので、全員が頭を下げた。

「よろしくお願いします」

とは言ったものの、私はこの状況が全然理解できないままだった。

架空の進捗管理表

1ケ月後、次の打ち合わせの数日前のこと。開発部長が唐突に私に告げた。

「次回の打ち合わせに持っていくから、進捗を線表にしておいて。」

しんちょく?せんぴょう?

なにそれ?

漢字すら思いつかない。開発部長に聞いてみた。

「せんぴょうって何ですか?」
「進捗状況を表にして線を引いたやつ!」
「しんちょくって何ですか?」
「作業の進み具合だよ!」

と言って、紙にマスを書き出した。縦軸には機能と担当者、横軸には11月から3月までの期間が並ぶ。 そして開発部長は、実際に作業しているのは私とT氏だけなのに、 先日の打ち合わせに参加した人たちの名前を担当者として記入していった。

年月担当機能88/111289/123
齋藤機能A—>
A機能B—>
B機能C—>
C機能D—>
D機能E—>
E機能F—>
F機能G—>
T氏最終データ処理—>

なんで?

よく分からないまま、定規を使って手書きで資料を作成し、コピーした。 もちろん、8人分の進捗を記入しておいた。

打合せには一人で行かされた。発注元からの細かい質問に私がすべて回答した。

「いや、その若さで全員の進捗を事細かに把握しているなんて、すごいね。」

発注元に感心された。そりゃそうだ。すべて私が開発してるのだから。

「でも、このCさんって方、作業遅れてますね。」
「いや、それはあれでこれで…」

必死に言い訳する。

「いやいや、別に齋藤さんを責めてるわけではないです。Cさんの進捗が遅れてるって指摘しただけですよ。」

それ、私なので。

ここに至って、ようやく私は人月を理解した。

人月商法の真実

この仕事は人月で計算されているのだ。

11月から3月までの5ヶ月間で、8人が作業することになっていた。 つまり、5×8=40人月の仕事として見積もられていたということだ。 見積書を見ていないので、あくまで推測だが、後で仲良くなった元請けの担当者に聞いたところによれば、3千万円で発注したそうだ。 会社の経理からも退職後に2,400万円だったと聞かされた。 ちなみに、当時は消費税が無い。

しかし実際の開発現場では、T氏一人と、時給1500円の私の二人だけが作業していた。 私が35人月分の仕事をしていたことになる。いや、それ以上だった。

新人が背負わされた責任

仕事には仕様書の作成や納品作業もあるが、T氏はそれをしなかった。 会社では本当に何も教えてくれない。 T氏は私以上に社会からずれていたので、客先とのやり取りは、すべて私に押し付けられた。 社会人知識もマナーもゼロの私が客先に行くので、取引先から散々怒られた。 会社からは「絶対に学生であることはバラすな!」と厳命されていたのだ。

「こんなことも分からないんですか?」

はい、すいません。本当に世間知らずなんです。 むしろ、私が経験何年目だと思ってるんですか?と相手に聞いてみたかった。

テスト仕様書なんて書いたことないのに、誰も教えてくれなくて、自分で書いた。 当時は手書きだ。テスト項目1件ごとに手順書を作成し、結果を書き込んだ。 それが数百枚。コード量に応じて必須テスト件数が決まっていた。 結合テストで、確か1000行当たり40項目だったような。 私が3カ月で書いたコードは1.5万行だったので、600枚のテスト手順書を書いたはずだ。

後日、発注元のオフィスに私が提出したテスト仕様書が乱雑に置かれていた。 何気に手に取って見てみた。

赤鉛筆で数枚添削されたあとに「バカ」「死ね」と書かれてあった。

涙が出そうになった。 訳も分からずに書いた仕様書だ。 経験豊富な発注元の社員からしたら、ゴミくず以下の内容だったことは間違いない。 誰が悪いんだよ…と思った。

それでも何とかプロジェクトは無事に完了した。

まとめ

この案件で社長はポルシェを買った。

(完)